テキトー日記

お出かけ感想日記なので不定期更新です。

SFというジャンル『無伴奏ソナタ』読後の感想

*中身の無いグダグダなブログです。


ほぼ手をつけたことがない『SF小説』と呼ばれるジャンルを読むきっかけは
キャラメルボックスさんの今年(2018年)3月の舞台『夏への扉』の宣伝を兼ねたツイートを読んでいるうちに、興味が出てきたから。
最近はなかなか知らなかった作家さんや
本を知る機会が少なく、結局、読むとしても
元からタイトルだけは知っていた作品や、
読んだことある作家さんの他作品、
あとは好きな本の読み直し...が続いている中で、
去年、知った『スロウハイツの神様』が楽しかったのでキッカケにしてみました……と、いつもの長い前置き(笑)

夏への扉』は同じ著者であるハインラインの本が増えたので、出来ればその時まとめて。

今回は
オースン・スコット・カードの『無伴奏ソナタ
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作品は、タイトルを含む11の短編集。
感想……SF小説ってわけが分からない!
という、アホみたいなのが最初にきました(笑)


だいたいダニエル・キイス
アルジャーノンに花束を』が
SF小説の括りなのが元から理解出来ない頭で
いきなりは難しかったかも...
それにしても「無伴奏ソナタ」1作品の求心力の強さよ…と思うくらい突出していたな。

それでも、それなりに感想。
私が思うSF小説世界らしさに溢れていたのは
「エンダーのゲーム」
「ブルーな遺伝子(ジーンズ)を身につけて」
「アグネスとヘクトルたちの物語」

SF小説っぽいけどダークファンタジー寄りに思えたのは
「タイムリッド」
「死すべき神々」

いやもう、これは立派なダークファンタジー
又は『世にも奇妙な物語』の幾つかの作品の元ネタやオマージュ元にはなってそうですよね!?という、『空想科学小説』の『空想』色が強いなと感じたのが1番多く
「王の食肉」
「深呼吸」
「四階共用トイレの悪夢」
「解放の時」
「磁器のサラマンダー」

そして
無伴奏ソナタ

分けるとこうなります。
エンダーのゲームは、その後、長編化されたようですし、映画作品にもなっているそうです。
確かに細かい設定が語られることなく終わるこの短編だと、知りたい・長く読みたいという感想があっても不思議ではないくらい、いろいろと詰まっていました。
「ブルーな〜」と「アグネスと〜」は、どちらも住むに適さなくなった地球や人口増加など、分かりやすいSF設定に分かりやすい心理描写と、捻ってるでもないけど唸ってしまうような終わり方。
*1

その他は後味に苦いものを残すのが上手すぎて……
特に「王の食肉」「四階共用〜」「タイムリッド」

作者後書きでも、何気ない気づきや思いつき、
知り合いが見た夢の話から着想を得ているものも
(この短編集では)多いようでしたが
そういう悪夢感の伝え方があまりにも上手すぎて、
けっこう疲れました。

「深呼吸」「死すべき神々」「磁器のサラマンダー」は
発想もオチも良かったですが、
やはりSF小説というジャンルについては
疑問が残るばかりでした。

多分、私の中での「SF」は読んでこなかっただけに
映像化されている近未来や分かりやすい設定の元に展開されるものを、それとして受け取ってきたのでしょうね…

考えたら『海底二万里』すら読んだことないくらい
児童向けと呼ばれるところからして、手をつけていなかった。
これはちょっと新発見でした。
ホラーをうたったものや、1度読んで、あまりにもくだらない形で考えさせられることもなく、後味の悪さだけが残った作者さんの本等は、触れていませんが、それでもあまりジャンルで避けてきたつもりがなかっただけに。

今回も1作ずつ感想書きかけて、
このジャンルの所謂ネタバレとは
どこにある!?が分かってないなと思って
全体的に「空想科学」「サイエンス・フィクション」と呼ばれるもののジャンル分けの不思議さが残った方の感想が長くなりました。

一旦「SF作家」とジャンル分けされた方の作品は全てSFになるのでしょうか!?

無伴奏ソナタ」も、確かにユートピア思想に溢れたディストピア世界的な感じは伝わってきたので、
そういうものかと受け取ってきましたが、
10作品の短編集のラストに、この作品を読むと
いろいろと混乱しますね…

結局、作者さんが描きたい世界は、
あくまでも空想と科学に塗れた場所と、
そこで起こる少々のイレギュラーや
何故、こうした世界は作られたか?といった
ある種の創世神話なのか、
たまたまジャンル分けされただけの
人間模様を書きたかったなのかで
受け手の読後感も変わるといった
とこなのでしょうか!?

短編集は途切れ途切れで読後感が動くせいか
元からちょっと苦手なのもありますが、
悪夢感の強さのほうが勝ってしまって
「人間(人生)賛歌だな」と強く感じた
夏への扉』の方に私は惹かれたので
もう少し、このジャンルに挑戦してみようかと思ってハインラインの作品を選んで探したら……
増えすぎた(笑)
しかも4冊中2冊は文学物という。。。

少々、時間かかると思いますが
のんびりいきます。

結論:オースン・スコット・カードは私には早すぎた!!(違うか?)
『エンダーのゲーム』の長篇版へ辿り着く日はくるのか!?

それでも、表題作『無伴奏ソナタ』は
心の底からオススメします。
改めて読み直しても、やはり胸をうたれる。

そして再び、幸せや適性について考えてしまう。
人は他人の人生について、どこまで踏み込んで良いものなのでしょうね?それが例え、愛情や心配から生まれたものだとしても...

本当はいくつか、どの作品のどこが面白かったとか、私には解釈がつかなかったので読んだ方いますかね?とか、いろいろ書きたかったのですが、
前述の通りネタバレ範囲が分からないので大幅変更のグダグダブログでした。

それでもここまで読んでくださった方で、「大抵こんな風だとSF小説とジャンル分けされるよ」とか「○○って作品は自分の中ではSFだけどジャンル分けは違うんだよ」とか、オススメなどありましたら教えて頂きたいです!!

うまくまとまらないので、ここで〆

*1:ひねるとうなると何気なく漢字変換したらこんなに漢字似てた...少し手書きもしなきゃですね...余談

観劇に興味を持ち出してからのアレコレ雑記・2

ふぅ……書き始めるとやっぱり長い。
エッシャー展やライブの感想などなどなど、
書きたいことは余ってるのですが、なかなかどうして…
こうして文章を変に長くしてる間に本題へ!


観劇4作品目が初めてキャラメルボックスさんから離れて8が3つで888(ハチミツ)企劃さんの『ある日のことでございます』でした。

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こちらは、以前から行ってみたかったのにタイミングが合わなかった木﨑真侑子さんが出演されると言うことで何となく...1度「演劇も観たかったら行けば良いんだな」と思うと身軽になるもので(笑)

木﨑さんは演劇では無い全く違う形で知った方だっただけに、何も考えず決めました。
最初は演劇✕朗読とのことだったので、朗読を聞けるのかな?と思ったら...こちらに関しては主催、馬原颯貴さんのブログがわかりやすいかな!?

ほぉ……と、その時はちょっと不思議な作品を観てきた感想が残りましたが、何せ見る(観る)・聞く(聴く)・読むの専門家として年季だけは入っているので(笑)後からいろいろと感想や「腑に落ちる」部分もあって(「腑に落ちる」のカッコがけは、作品みた方には通じるのです)楽しい経験をしました。

その時に何もかもバーっと溢れ出て、どうにも出来ない感じも、後からジワジワと溢れてくる感じも、元から私の読書や映画を見たあとのクセのようなものなので、そういう風に色々と考えたり、思い出したり感じることは楽しく、演劇を観ることは無理ない程度に続けたいなと実感もしたのでした。

短期の6公演程度なら、所謂、全通組さんもいらっしゃるらしく、ちょっと知りかけで怯んだ時期でもあったのですが、それはその方の楽しみ方で私には関係ないなとも思えたのも、大きかったかな?私はやっぱり多分、全通という形で関わってしまうと疲れてすぐに離れてしまうなとも感じてますし...体力と気力が凄い!!

と、また脱線したとこで、梶井基次郎さん始め、まだ読んだこと無い作品も多く偏って読んでるなとも思ったので、またいろいろと読書したいな。
という、全く違うほうの刺激も受けた『ある日のことでございます』でした。

感想のツイート、自分で探しだしてかなり刺激を受けてるのが自分に伝わってきてちょっと笑ってしまいました。本、読もうね、私!!

そして次もちょっと空いて、
すゞひ企画
『紫陽花と君と止まった時間』
7月5日12時の回へ

これはネタバレ厳禁の迂闊な感想アカンやつです!
でも楽しかった。
伏線は延々と張り巡らされていて、
今、思うと「あの時」からもう舞台は始まっていて、まんまと術中だったわけです。

出演者さんに尋問という名の質問アンド撮影OKタイムがあるですが、相当くせ者揃いでした(笑)

私の敗因は配られた資料のある1箇所を勘違いしたまま脳内で訂正できなかったこと。
あの勘違いさへなければ!!なんて、後からなんとでも言えるのですがね。。。
「非日常という日常」を徹底的に演出してくださったことで途中、本当に夢中になりました。
自分も確かにあの場の一員だったなと、
悔しいと楽しかったと、もう少し時間欲しかったなというグダグダしたクセも残しつつ(笑)
感想書けたら、山ほど書きたいのですが我慢。
次回作
『作家Qと解答者Aの不思議な関係』
行けたら良いなと思っています。
まだ予定は未定なのですが、

立て続けについ先日、東京では千穐楽を迎え、
京都・広島公演を残すのみとなった
『エンジェルボール
7月8日12時の回を観てきました。

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これがキャラメルボックスさんの真骨頂なのかな!?と思ってしまった笑い先行の中にホロっとくる場面が散りばめられていて、まとめられている感想ツイートを読むと、そのホロっとくる場面も人それぞれで楽しいなぁ〜!(お気楽か!?)

私は主演の三浦剛さんが野球経験者と何度も宣伝されていたことに関して大納得で、ラスト、おぉ!?となったところで終わって、えぇー!!って焦って終わってました(笑)どんだけ一緒にドタバタした、私?
でも来年には後半部分の続編決定で嬉しい限りです。
本当にただただ素直に当たり前に「やっと第二部だ、観に行くぞ!」と思える環境にいれたら良いなと思っています。

感想そのものは、まだ公演もありますが...
ハートフル人情コメディ〜笑って泣ける中年男の奮闘記〜的な、何かの記事にありましたが、ちょっと昭和な感じも残しつつ王道を行くエンターテインメントとして楽しめたら良いのかなと。
ラストまで原作を読んだり、舞台を観た時に感じることは変わっているかもしれないです。
でも、家族と仲間と友人を思って、ダメなところもありつつ頑張る、お父ちゃんの姿は変わらないかなと...仲の良い家族の話は私の中ではまさにファンタジーです。でもだから良いのかな?なんて思います。余計に何かと被せるよりも、もっと真正面から、それぞれの登場人物の感情を受け止められる。
今は、京都・広島公演の成功と来年を楽しみにしています!


こうして思い出すと、6作品観てましたね、私。
濃いな〜!!ありがたいことです。
タイミングあわず、観れなかった公演もあったことを思うとかなり観れてるなと思っているので、これからもマイペースで楽しみます。

今、決まっているのは『猫と針』
さて年内、何度観れるかな!?
楽しみにしてます。

では、そろそろ〆ますかね!?


最後に、書き忘れと載せ忘れの追記

*『夏への扉SNS企画にて、パンフレットに使われた写真プレゼント、当選したのです。
しかも、ジョン・サットン役の井俣太良さん!
家宝ですよ、もちろん!!

*その1に載せ忘れた
無伴奏ソナタ』唯一?の撮影OKタイムの写真上げときます。上手くは撮れてないのはお約束(泣)

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観劇に興味を持ち出してからのアレコレ雑記・1

ふと、急に趣味が増えた気がして思い出して見ると、何をどう記憶を引っ張り出しても去年の演劇集団キャラメルボックスさんの夏公演『スロウハイツの神様』に興味を引かれて以来だなと気づいて、ここまでハッキリ記憶があるのも面白いのでつらつらと四方山思ひ出話をば…

スロウハイツの神様』観てません。
その時に興味があったのは「スロウハイツと太陽」というバンドさんが好きで、そのバンド名をキャラメルボックス代表の加藤昌史さんがツイッターで見つけて、ボーカルのシミズフウマさんが反応して、コラボ曲として「autumn」という曲が選ばれて…私はこの「autumn」を知らなかったので興味津々でツイート見ていて……結局、舞台は何だか敷居が高いとその頃は思っていて行かず、でも原作本は読んで、やっぱり行きたかったなと後から後悔。
あのデュマを彷彿とさせるラストの仕掛けに驚きました。
デュマの作品は人の縁の不可思議さを、ご都合主義と言われようと貫き通したものが多く、私はその"偶然"が現れる度、ニヤッとしつつデュマの作品らしいなと思って読むのが好きなのです。
というのはただの脱線。
でも辻村深月さんの他作品も読みたい。

そして本題へ……

きっかけは、やはり加藤昌史さんのツイートから。
次回作品は『夏への扉』ですと連日のようにいろいろツイートが流れてきて、原作に興味がでて先ずはハインラインの本を購入。読んだら面白かった!
そしてこれをどうやってけど舞台化したんだろう?と7年前の作品の再演だと知り興味がっ!
でもやっぱりちょっと高い敷居と金額(笑)

しかし知ってしまったのですよ!!
ハーフプライスチケットの存在を!
半額で観れるのか...予定は空いてる、あとは気持ちと行動力か...と迷ってたのに何故かどうしても行きたくて当日は池袋PARCOサンシャイン劇場へも迷いまくって会場へ向かってお出かけ腹痛(こう見えていきなりのプレッシャーには弱い)のため、急遽、正〇丸まで買ってしまうというドタバタの中で観た『夏への扉』は、、、、、
涙・涙で、なんでこんなに泣けるのか自分でも分からないくらいで、帰りの電車乗れるかな?ってくらい泣きました。
悲しかったわけじゃないのは、原作を知ってる方には容易に想像つくと思います。
しかし、あんなに泣くか!?と思いつつ、夢中で撮影OKタイムでは写真撮ってたな。

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ちなみにこらは3月22日19時の回
いまだに、何にあんなに泣いたのか分からない。
でもダニエルとピートが大好きになったのは間違いないです。

そして一日置いて3月24日16時30分の回へ。
どうしても、もう一度観たかった。
今でも7年前の初演DVDは持っていますが、今回の再演もDVD化されないか待ってます!!

この日は、笑いがいっぱい起こる日でお客さんの雰囲気でも何だか印象変わるんだなと知った日でもありました。最初に観た時はすすり泣きの音があちこちから聞こえました。

本来、こんな風に立て続けにチケット半額でも観劇に2回も行ける余裕は無い時期でした。
大げさに言えば「救われた」のかもしれないです。
私はなんの特技も技量も頭の回転の早さも持っていないけれど、それでもあの主人公を取り巻く人達の温かさやダニエルの努力に何かしら励まされる部分があったのだと思っています。
今でもやっぱり好きな作品です。ダニエル役の畑中智行さんの笑顔も良かった。そんな風にして高かった敷居が、私の中では「行きたかったら行けば良いんだ」そんな風になった作品。

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続いてはちょっと空いて、5月5日に
Story Dance Performance Blue 5th
『Sky and Blue〜空と海の真ん中で〜』
観て来ました。

その時の感想ブログ
https://tekitoukaeru.hatenablog.com/entry/2018/05/06/163220

キャラメルボックスの大内厚雄さん主催の企画。
しかも6年ぶりだそうで、上手くタイミングあっただけで嬉しかった。
あと「小劇場」の近さに驚いた。
そしてDVD、早く届かないかなぁと待っています(笑)

この時は2人で行けたのですが記事内に書いたとおり、誰かとあれやこれやと感想や気づいた伏線を聞いてもらったり、教えてもらったりできることも楽しかった。こういうの良いな…またBlueの公演、あったら良いな。(その前にDVD!?)

続けてやっぱりキャラメルボックスさんのグリーティングシアター『無伴奏ソナタ
こちらは初日、5月16日の19時の回と
翌日17日14時からの公演後に出航式というイベントもある回へ。

無伴奏ソナタ』は感じることも刺激される部分も『夏への扉』とは全く違って、その時の私の状況もあり、結局、感想ブログ「止むにやまれぬ想い」と「【ネタバレブログ】無伴奏ソナタ観てきました」
2回に分かれてしまいました。
夏への扉』の頃からブログ始めてたら良かったな。


改めて、受け手側に立っていることで感じる、自分自身の中にある感情の揺れや振り幅、何を観てどう感じて、どこに自分で落とし込んで整理しているのか、それが所謂「ひきだし」と呼ばれるモノかもしれないなと思うと、様々なことに触れること、それは後追いでも遅れたスタートでも良い、何も受け取らず日々を過ごすことになんの問題もないのですから。
それでも、媒体は音楽でも本でも映画でもなんでもいい。何かしら直接遭遇する時に感じる喜怒哀楽の感情を、文章や映像の中からも汲み取り感じることは、自分の経験だけでは出会えなかった、喜びや楽しみ、哀切や懊悩を感じられることに繋がるのだなと、ここ数年のライブや観劇といった趣味が増えたことで思うようになりました。

なんとか頭が固くなることなく、進めると良いですなぁ(年寄りかな!?笑)

と、言うわけで、ここまでで一旦閉めて、その2へいこうかと…(続くんかい!)

【ネタバレ感想】「無伴奏ソナタ」観てきました

【どこまでがネタバレか分からない感想】
【ラストシーンまで感想書いてます】

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2回も注意書きしたし写真も挟んだので、
苦情は受け付けません。
では、スタート!!

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僕らが信じる真実は 誰かの創作かもしれない 
僕らが見てるこの世界は 誰かの悪意かもしれない
人が人である理由が 人の中にしかないのなら
明け渡してはいけない場所
それを心と呼ぶんでしょ
『古いSF映画:amazarashi』

いきなり引用から。
これは詩の世界観は違うのですが「幸せであること」「己の適性から離れないこと」が定義づけされた世界で、唯一、己で持っていなければいけないモノは心かな!?そんな風に思って、私の中で思い出した歌詞です。

質問『幸せとは?自分が属すに適した場所とは?
こんなこと悩まずに生きていける日常は幸せだと思いますか?』
答えは「イエス」な人は、それなりにいるかなとも思うのですが、じゃあ『あなたに好きな事があったとしても、あなたに適さないと禁止される世界は?』と質問の向きを変えたら「ノー」と答える人が圧倒的に増えるかな?

バッハの音楽のタイトルをそのまま使った
無伴奏ソナタ
近未来、2歳で適性検査を受け、その結果により就くべき職業を法律で決められている社会でのお話し。
その適性検査の結果は[絶対]で、親も本人も反抗する事は許されない。なぜなら「幸せになれないから」
ここまで、前置き。
(そしてやはり原作をあまりに上手く再現している為、本の感想と舞台の感想が少々混ざってます)

キャラメルボックスさんの公演の宣伝文句は
「もしも 音楽の天才が、
音楽を 禁じられたら?」でした。

今回は先に原作を購入して読む時間が無く、
何の前知識も無く観たのですが、
まず、何よりこの舞台上で威圧的に言われる
「幸せ」という言葉の響きの残酷さと傲慢さ。
腹立たしいではなく、悔しさや切なさが勝つ程の
ある種の正論が持つ暴力。
ふたつ目は、禁じられる方法が毎回「物理的」な
ことに度肝を抜かれながら観ていました。

主人公のクリスチャン・ハロルドセン(クリス)は、生後半年の予備検査でリズム感と音感に良い数値を出した。
演奏家夫婦の両親は喜んだ。そこから強化プログラムを渡され、2歳で受けた適性検査では、リズム感と音感以上に「創造性」に大きな数値を叩き出した。

ここで彼の未来は決まる。

親から離され、深い森の中の一軒家で育てられ、外界の音楽(自然に聞こえる風雨の音は有り)から遮断され、与えられるモノは充分に行き届いた生活のケアとあらゆる音を出せる楽器1つだけ。
この近未来では「全ての芸術は模倣から始まる」という考えは否定され、無から有を創ることこそが「メーカー(創り手)」として認められた天才に与えられる使命だから。

母は反対する。2歳の子を親から引き離し学校も友達も無い生活で(メーカーにしか与えられない)楽器だけを与えて、音楽を作る以外の何が出来るのか?「メーカー」になる以外の何が息子にあるのか?
それが本当に幸せですって!?と、

父は苦悩する。
もし息子が大人になって自分には世界に100人と居ないと言われる「メーカー」になるチャンスがあったのだと知ったら、自分達両親の選択を全て受け入れられるだろうか?

そして出された決断は政府の決定に逆らわず息子をあずけること。
結果は5年後、街の小さな楽団の演奏家の自分達の元に来た作曲者の名を見て分かる。
そこにあったのは、自分の息子の名前だったから。

ここまでが「序章」だったはずです。
もう始まりから息が詰まりました。
ディストピア世界の話だったとは...
そして、ここまではまだまだ世界観がチラッと見えただけでもありました。


「第一楽章」
2歳の時から28年の歳月が流れ、クリスは30歳に(ここから、主人公の多田直人さんは、ほぼ出ずっぱり)
ある日、彼に1人の男が近づいて来る。
それは本来、禁止された行為。
男は同じく適性で選ばれた「リスナー(聴き手)」
クリスの音楽にもしバッハの音楽が足されたら!?そう思ったのだろうな、は、コチラの勝手な察しです。でも名も無きリスナーである彼は、それを望んだ。どんな音楽であろうと他者の影響を受けてはいけないメーカーであるクリスに、貴方には足りない物がある。
そう言って無理矢理渡したレコーダーに入っていたのは、バッハの無伴奏ソナタ
聴いてはいけないと思いつつ誘惑に負けて聴いてしまったクリスがとった行動はバッハの曲を聴いたとは誰にも分からないように、フーガから離れハープシコードを鳴らさなくなること。(ここでハープシコードの例を鳴らしてくれるので、クラシックに疎い私でも、ああバッハの音楽だと分かると共に偉大さと言うか影響力が伝わりました)

そしてそれが仇となり現れる「ウォッチャー(見張り手・観察者)」
このウォッチャーは、世界中のメーカーが誰かの影響を受ける事は、己の才能を傷つける行為と見なし、その汚された才能はもうメーカーである資格無しと法律の名の元に断罪し、静謐な創造の森から追い出し、二度と「音楽そのもの(それは手拍子であっても)」に触れてはいけないと禁じる権力を持った人。

クリスは応じるしかない。と言うより、抵抗するとは?と言う定義も知らなかったのでは?と思うほど外界から遮断されて生きて28年。何が自分で決められるのか!?
同じく、この舞台のために作曲された美しい音楽があるのに息が詰まりました。
それでもダンスシーンは苦悩し戻りたいと願い阻まれる演出へ...
ん〜!今回は前回初めて観て知ったキャラメルボックスさんとは違うんだな、こういう舞台もあるのだなと再再演にも関わらず、知識のない私は、やはりビックリしながら観ていました。


「第二楽章」
舞台は再教育訓練を受け、トラックでの配達人になったクリスが、ある日ふらっと立ち寄ったバー(この酒場の店主も雇われているウェイトレスも皆、適性で決められて、この職に就いている)でアルコールだけを飲むつもりが、そこには「ピアノ」という名前しか知らない楽器があった。。。

……もう、展開見えて怖かった。恐らくほとんどの方のご想像通りの展開へ。
そこで2度目のウォッチャー登場。
でもこれは、偶然ではなく、彼のピアノのせいで客層が変わってしまい、店が潰れると心配したバーの店主が、彼がメーカーだと知らず「追い出してくれ」と政府に密告したから、バーの店主は目の前で、やはり法律の名の元に行われ一瞬にして終わった、クリスの「演奏すること」を奪われた行為を目にし、後悔の涙を流しながら、それでも言う「俺だって、この店が潰れて無くなってしまったら生きていけないんだ」と...

何回目!?の息詰まる展開。合間、合間には笑ってしまう場面あり、芸達者だなぁと本職の方を相手に失礼ながら感心したりしつつ楽しいのですが、何とも驚くべき方法で物理的に奪われるクリスの音楽への愛着は幸せとして認定されないのか?と言う不条理に胸が苦しくなりました。


「第三楽章」
もう出来る仕事も限られた体になったクリスは、道路工事の誘導員となり現場でただただ黙って賑やかな現場で1人過ごすことに。
そこに、現場の入れ替えで現れる音楽好きな現場作業員。

もういいよ〜!!ってドキドキしながら、でもやはり、ここで選ばれて歌われる歌があまりに良くて、束の間、笑顔になるクリスの姿に安心しつつ、いや待って!となる説明台詞の後に3度目のウォッチャー登場。
この後のやり取り、緊張して耳をそばだてていないと、ちょっと惜しい場面なので、もう涙を流している方も1番の我慢どころでした。
あの状態の演技でセリフが途切れ途切れでも聞こえることに、感心しつつ、落とし所は?
ウォッチャーが幸せと法律を守るためにと言いながら、次々とクリスから奪うのは何故?
納得できるかどうかは一旦置いて、小説・物語としては、ある意味わかりやすい展開へ...

この舞台、偶然、仕事の関係で2日連続で観ることが出来たのですが、いつもいつもクリスがより良い笑顔で音楽に接する度に、直ぐに訪れる「奪うもの」の存在に、2日目はクリス(と言うより、最早、多田さん)が笑顔になる度、胸が詰まって苦しくなりました。
目の前で笑っているこの人に訪れる次の展開は...それを見せず演技し続ける舞台上の役者さんの胸には、どんな気持ちがあるのだろう!?そんなことも考えてしまいました。

何はともあれ、同じく物理的に音楽に触れることを一瞬にして奪われるクリスに、もうこれ以上の何があるんだろう!?と思いながら観ていて唯一感じた台詞上の違和感、それは原作でも同じく。
歌を歌い聞きながら、楽しい・幸せだ以外の感情が生まれてはいけないの!?その疑問は最終章へ...


喝采

それからまたも(私が記憶違いをしていなければ)
38年、クリスは70歳にして、メーカーでありながら、2年で3度の法律違反を犯しあまつさえ、それは最初に禁じられたら「音楽」であったことにより……
別に自由は奪われません。住む場所も与えられるし職業にも就けます、強制ですが。
そんな日常からある日解き放たれる。
何のアテもないのに。。。
昔、いた場所はどこも変わってしまったり同じ人は長い歳月と共に両親も含めもう何処にいるかも分からない。

雨が降り出し、クリスはある喫茶店に入る。
彼はそこで彼を徹底的に音楽から遠ざけられたきっかけとなる『シュガーの歌』を歌う若者達に出会う。(『シュガーの歌』は歌のタイトルです。ここだけは舞台で観て欲しいと思いますが機会も少ないので、良かったら原作で...)

若者達に彼は驚いて問う「君達は幸せじゃないのか?」「幸せだよ、仕事もある、友達もいる、休みの日にはこうして歌も歌える」「それなら、何故そんな悲しい歌を?」「悲しい?そりゃあ歌っていて涙が流れる時もあるけど、それは不幸だからじゃない。この歌は分かっているんだ」「分かっている?」「そうだよ、ともかく分かっているんだ」彼をもう相手にすることなく歌を続ける若者達。

「分かっている」原作者には、どんな『シュガーの歌』が聞こえていたのでしょうか!?

«僕は 愛を知らない»のフレーズで舞台のために作られた、この歌は終わります。
「分かっている」舞台化するための交渉から始まる長い長い過程で、制作に関わった、特に成井豊さんには、最初どんな歌が聞こえていたのでしょう?

「分かっている」私には耳に残りホンの数回で鼻歌交じりに歌えるこの歌から感じたものは、直ぐに言葉にはならなかった。
ただただ涙が流れた。でも同情でも、哀れみでもない。まして、己の不幸を思っての涙でもない。
でも涙が止まらなかった。

クリスチャン・ハロルドセンは、きっと人生に、
運命に勝っていたんだ。
その証拠こそが若者達の歌声の奥から、
クリスの耳には聴こえた「喝采

舞台上には、真ん中にクリスこと多田直人さん。
舞台奥には出演者が過去の姿で現れ(心象風景かなと)拍手が贈られる。

ここで、つられるように観客として観ていた私達も演技は続いているのに拍手することを止められませんでした。どうしようもなく流れる涙と共に。

そしてカーテンコール、初日は3回。
拍手鳴り止まず。
2日目は、最初のカーテンコール時にイベント「出航式」のお知らせがあったので控えめでした。
この出航式も楽しく、また感慨深いものとなりました。

話を戻します。
シュガーの歌は、日常を「幸せ」と「適性」に囲われながら生きる人々の、道路工事ですら作業員という適性で決められた人々により行われる世界でのアンセム(讃歌)になっていたんだろうな。

ずっと、ずっと、音楽から離れられないクリスの想いが「止むにやまれぬ」モノだったのでは?と感じたのは、1つ前のブログで全く別なライブの感想と共に書きました。

だからここでは、クリスの想いより、幸せや適性について…
人は本当に衣食住が足りて、コミュニティに属することも出来た時、悩まずに生きていけるのでしょうか!?
私の答えは「ノー」です。
道路工事の現場で出会う音楽好きな男性は、皆に褒められ、歌うことを求められながらも「シンガー」になることはできません。夢や目標にも出来ない。
何故なら「適性がないから」

幸せを、目標を、夢を、好き、を「向いてないよ」と止める権利は、きっと誰にも無い。
それがどれほど相手を思って出た言葉であっても。
じゃあ、闇雲に夢を追いかけられたら幸せなのか?
それは分からない。
分からないから、人は悩むのかもです。
その悩むことを不幸と名付けることが出来るのは、
悩んでいる本人だけ。
他人が決めつけられることではないとも思いました。

幸せって?行動って?とめどなく溢れる
舞台上の台詞と演技への感想と、
そこで感じた自分自身への自問自答で
数日間、頭が重くなりました(笑)
でも観る機会があるなら、まだまだ観たい。


原作と唯一違い、キャラメルボックスさんらしさがあったのは「他者への想い」でした。
一瞬は心配したり後悔しても日々の生活の中で、クリスの事を忘れていく人々として、原作はすれ違うように現れる登場人物は描かれる。
でも舞台では、クリスが目の前から攫われるように消える度に、必ず誰かは言う
「もし、また次に会えたら?そうだな…」
その後は、それぞれの言葉で。

その暖かさは、大きな救いだと感じました。
たとえ届かなくても、想う人がいてくれる「幸せ」
涙腺も刺激されるけど...

とめどなく長い長い感想。
きっと、これでも足りてない。。。


1つ、蛇足を。
2日目「2歳の子供が親から離されて友達も作れず...」の場面、台詞、初日より足りなかった気がしたのは気のせい!?
当たってたら、自分の記憶力と集中力を褒めてやりたい(笑)勘違いだったら、すみません(´ヮ`;)

出航式も楽しかったです。
お見送り、簡単でも「来てよかった」と一言、ご挨拶出来ただけで、ものすごくやり遂げた感!
ドキドキしつつ嬉しかったです。

さあ、最初の引用に戻ります。
「人が人である理由」が「心」なら、
やはりクリスチャンは「分かっていた」んだと思います。奪われても奪われても音楽が好きな自分を止められないから「この日が来ると分かっていました」と3度目にウォッチャーに返事をしたように...

地方公演、残席もあるようですが、
「分かっていても」きっとまた地方公演に行き、
埋まりきっていない場内など物ともせず、演目や役者さんは変わっても、演じられるんだろうな...
今、現在、地方公演を待っている残りの舞台、
観れるものなら観たかった。
あの「喝采」を何度でも贈りたかった。

私には「観劇」の楽しさを教えてもらった劇団なので、また次の機会へ!!
(なかなか前売りからチケットを買う余裕はありませんが、半額制度のおかげで2回目を観るきっかけも頂いています)

うーん、締めはこれで良いのか!?
まだ間に合う公演に行ける方がいるなら、是非!
感想はきっと、私が感じたものはホンの一部で、こんなものではないと思います。

最後にチケット載せて...
どうにも表現しきれない感想と共に、
ありがとうございました!
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止むにやまれぬ想い

無伴奏ソナタ』と『それでも音楽は鳴り続ける〜北風と太陽〜』を1日かけて観て聴いてきました。
思うところは、これから書くことが全てじゃないけれど、まとまった分を一気呵成に。

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無伴奏ソナタ」は東京公演も残り少ない、でも地方公演もあるから観る機会があるなら心から観てほしい。昨日、観劇した後に行った素晴らしい3組の方のライブでより、その気持ちが強くなりました。


自分で何気なく使った「止むにやまれぬ想い」その言葉は、昨日の舞台とライブを観て聴いたから出てきた言葉です。
でも、それはきっとあの舞台根底に、そしてあのライブにも同じく流れているものでは?と思ってしまいました。
主人公のクリスチャン始め、キッカケを作ったリスナーにもきっとあったんだ、止むにやまれぬ想いが、と...


あの舞台が問いかける「幸せ」についてはまた書き直したいと思います。今は、もう一つのことを。

無伴奏ソナタ』を観て、流れる涙はただの同情や切なさの涙だったかな?それがきちんと腑に落ちないまま見たライブ、『ラクルイノヨルニ』『スロウハイツと太陽』『それでも世界が続くなら』それぞれのパフォーマンスを観て聴いて、特にスロウハイツと太陽のボーカル・シミズフウマさんの言葉を聴いて感じたのは「止むにやまれぬ想い」でした。

届けたいから、伝えたいから、約束したいから、救いたいから、ここまで自分の足でやってきた人達の時間や選択を無駄にしたくないから、、、だからかな?
時には涙流しながら全身を使って表現していました。


舞台もライブも、私は本当は、何らかの形で生活レベルを落としたり、堪えたり、何の意味が自分にあるのかな!?
それに、やっぱり人が多い所では何気ない所や思いがけない場面で嫌な思いをすることもある。
そういうこと分かっていて、どこかに行こうと動く自分が不思議で、通うことを辞めたいと思いはじめてました。

でも昨日、バッとそんな気持ち吹っ切れて飛んでいった瞬間がありました。どの場面かまでは覚えてない。だけど、何を悩んでたんだろう!?
私は、今日に限らず「このステージに立たなきゃ」なのか「立ちたい」なのかは分からないけれど、そういう方達のパフォーマンスを観たり聴いたりすることが好きなんだって思いました。


そこに理由なんていらないだと……
無伴奏ソナタ』には、色んな人の「止むにやまれぬ想い」をすくい上げるチカラがあったんだ、今はそう思ってます。

好きを嘲笑された人・向いてないと一言で否定された人・そんなことに時間やお金使うの?と賛同は無くとも理解すらしてもらえなかった人、それでも好きを貫きたい人、立ち向かわずにはいられない人、何と言われようと自分の思いに素直でいたい人、そういう人達の心にあるもの全部。
歌を聴いたり歌った時に、
「泣く時があっても不幸だからじゃない」
そんな当たり前のようで、わざわざ言葉にしないこと。
自分を哀れんで流す涙なんてまっぴらで、でも止まらない涙はあって、その涙は...(ここからはネタバレなので、別のブログで!)


それが、スロウハイツと太陽さんのライブで繋がった。涙が出てどうしようもなかった。
今の好きと観たいを、可能なら続ければいいじゃない!?何を悩むことがある?ここで歌っている人は、もっともっと強く深い思い背負って、それでもステージの上で「自分達の」歌を歌っているじゃないか、カッコよすぎるよ、ズルいよ。
結局、またライブ見たり、舞台を観に行きたくなるじゃないかって...


無伴奏ソナタ』の出航式で主演の多田直人さんが「再再演でもクリスチャン役を演じられて嬉しいです。大げさかもしれないけれど、ラストで見える舞台からの景色は、自分の最後の瞬間に浮かぶのではないかと思っています」そう仰った。
何故か何もかもが繋がってしまって、思い出したことも含めて涙が止まらなかった。


昨日(5月17日)、私が目にし、聴いてきた言葉や音は、誰にも迷惑かけない「好き」を「趣味」を「目標」を嘲笑された全ての人への応援だった気がしています。


キャラメルボックスの舞台、ますます好きになりました。
スロウハイツと太陽・それでも世界が続くなら、もっと聴いてくれる人が増えたらいい(ラクルイノヨルニさんは、私がこれからもう少し聴きます)


ごちゃ混ぜですが、昨日、感じたことの一部です。
私は、稼ぐぞー(ง •̀_•́)ง笑

Sky and Blue〜空と海の真ん中で〜 観てきました。

5月5日(土)16時の回『Sky and Blue』を絵空箱にて観てきました。

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写真は購入したパンフレットとチケットです。

作・演出・振付の大内厚雄さんの個人ユニット
「Story Dance Performance Blue」がユニット名で合ってます!?という新参者です。
パンフレット内にあった「歌詞無しの音楽でダンスパフォーマンスは初」すら知らなかったのですが、充分に動きと表情で伝わってきました。

そして今年の3月に初めて演劇集団キャラメルボックスさん公演の『夏への扉』を観たばかりで、6年ぶりの個人ユニット公演を観れるとは望外の幸運。
最初はごくごく単純に『夏への扉』で見れた方が3人も出てる!だけで興味を持ったのですが、やはりすごかった。行ってよかった。


まず配役、育ての親役の叔父さんが畑中智行さんで、その甥役が大内さん!?という疑問は、過去と現在が行き来する物語の中で、すぐに納得。
と共に、女優陣は顔立ちが整ってる方独特の印象「勝気そう」「無表情気味に見える」それぞれを上手く生かした配役になってました。
私がしっかり知らないだけで原田樹里さんは勝ち気な役が多いのかな!?パンフレットを購入させて頂いた時は、優しくて照れ屋さんにすら見えましたが...
河内美里さんは、何とも複雑な役を(役柄上)抑えた表情のままに演じていました。すごいな...

さて、内容は……
※DVD等で初めて見たい方がもし迷い込んでしまっていたら、ストーリーもダンスも素晴らしかったです!楽しみに!!とだけ、書き残しつつ。



【ここより遠慮なくネタバレまみれです】

ストーリー、初めは複雑な過去を持った2人が過去と向き合う物語……と、見せかけてからの展開がもう凄くて!!
中学時代に両親を亡くし、姉・葉月(河内美里さん)はその時のショックで入院、そのため父の弟であり、母の同級生でもあった叔父・空澄 蒼(そらと あお・畑中智行さん)に引き取られ10数年、甥である東山睦月(男系の叔父・甥で苗字が違うのは、亡くなったお父さんは婿養子に入ったから・大内厚雄さん)は苦手な雲一つない青空の下で恋人の鳴海弥生(原田樹里さん)から逆プロポーズを受けたことをきっかけに、入院後は会っていない姉・葉月のことを調べることも兼ね過去を辿ることに...

ここまでがプロローグで間違いないかなと。
ラスト、叔父さんの名前「空澄 蒼」にすら意味が出てくるまでずっとずっと凄かった。
ちょっとのセリフやダンス部分のパフォーマンスにすらヒントがまみれているのに、けして複雑さは感じない、ただ観ている中でおや!?と浮かんだ疑問がどんどんキレイに吸収されて収束していくのが凄すぎて、見入ってました。

秘密を握ったまま、行方不明(漁師になり海に出たまま、ある日、帰って来なかった)になった叔父さんと姉の葉月が何もかものキーを握っているようでいて実は...となる場面。
何度思い返しても、あの場面のあのセリフ!あのダンスのあの動き!!と納得させられまくりで、ビックリしかないまま、それでも辛い現実を受け止めきれずに作った「ある場所」を恋人の弥生に「自分の人生だよ!睦月君は生きてるんだよ!!傍観者のままでいいの?」と本気でぶつかって貰えたことで壊されたかのように見せつつ、睦月が「当事者になるよ」と決意した時、その「場所」が封印ではなく解放される様は感動的でした。

過去と現在がコロコロと混ざり、その過去が少しづつ現在に近づく中で明かされていくものの深みと内容に、そういう事か!と納得した時の感動含めて今回は2人で行けたので帰りの道すがら、確認したり、そうだよね!って共感出来たりスッキリした!!これは語る相手がいないとちょっとツラい!

ダンスパフォーマンスは、綺麗でした。
女性陣のゴリラ!?は笑いましたが(笑)
語りきらない部分をダンスで表現するのって凄いな…ちゃんと伝わってきたもんな...
後、大内さんがブログで上げてらっしゃった絵も役柄の設定と舞台設定、両方の役割を果たしていました。どこまで芸達者!?

畑中智行さんは今回は役柄上、抑え気味!?
でも、どこか保護者的でもあり、受け止めながらも行動的である部分を見れたのは何だか嬉しかったです。きっとずっと辛かったのに「大人だから」と睦月の事を見守り続けたのだろう叔父さん役、思い返すと切ないな...

葉月役の河内美里さんは可憐で儚げで、どこか無表情気味な理由が何もかも繋がった時、感嘆しました!すごい!!

原田樹里さんは、芯の強い思いやりと行動力がある役をそのままに(笑)愛しているから、想っているから、黙って見過ごせないと疑問を解決するために動き回って、睦月に現実を知らせる時の辛さと覚悟がヒシヒシと伝わってきて、泣きそうになってしまった...あんなに素敵な方と出会えた睦月は幸せ者だと思うのです。
過去と自分の中にあった秘密も何もかも、思いやりで包んでくれるのですから。

あっという間の約80分
また観たくて、画面越しでもパフォーマンスと
4人に出会いたくて、DVD、申し込んでしまった。

結末を知って観ると、また感想は違うのだろうな。
楽しみにしています。

最後の挨拶で大内さんが、
「ゴールデンウイーク中の貴重な時間を」
と、言ってくださいましたが、
とてもとても素敵な時間を頂きました。
ありがとうございます!!
(感想、書き足りてない感満載...)

4月28日 ”rebirTH” 行ってきました。

4月28日、Tia Rungrayさんレコ発企画ライブに行ってきました。
場所は知る人ぞ知ると言うか、知っとくと面白い音楽に出会える場所、埼玉は大宮ヒソミネへ(最寄り駅は宮原駅...まだ言うか?笑)
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残念ながら最初の2組は逃したので、見れた方しか書けませんが、algolyckさんのはサウンドクラウドに上がってます。
重低音が心地よいけれど、それだけじゃないのです。音楽的な知識、説明出来る程度には欲しいなとたまに思う……

感想は途中から何とか飛び込みで聴けた
gravel’s endさんから。
5人体制になったのは結構前なはずですが、私はやっとのお初新体制。
takasiさんではなくyukiさんがボーカルの歌も初めて聴けた。雰囲気当然違うので、面白い感じになってきてるのかな?等と、ギターの弦が切れたらしく少々、慌ただしさもあったライブを楽しんだのですが、感想はやはり『希望は痛みの向こう側に』

飛び立つ鳥のイメージは浮かぶのに羽根が重くて風に乗り切れず、それでも飛ぼうと羽ばたき浮き上がるために湿地を走るような、それを徒労と思うことなく、ひたすら飛ぼうとして浮いては傾きまた浮いて……そんな重たさのある浮遊感は、どこから来るのでしょうね!?
ボーカルtakasiさんは人柄の良い絶えずニュートラル(中庸の方がピッタリかな?)でいることを目指しているように見える方で、こういう方だからこそ、表現は必要なのかな!?等と、終わるなり弱いの知ってて共演の方にツツカレて悶絶してる姿を見ながら思ったのでした(どんな感想!?)

お次はphaiさん、男性2人組ユニット
ギターと機材でかなり自由にジャンルレスな音を鳴らしていたかなと……何より「2回目です」のライブだそうで、相変わらず面白い人達が現れる場所だなと、簡単な感想をば。

そしてそして兇悪過ぎた(笑)ユニット
cahierさん。ギターのカエツさん始め、メンバーさんが基本的に凄すぎて私は「大人気(おとなげ)無い」と思いました。(小学生作文)
幽玄と評されるギターの音にアラブさんのドラム、(algolyckさんがベースを弾く方だと初めて知りました!汗)Heideさんの歌声ですよ!?ここはローレライか?って感じで、見事に聴き入りたいのに睡魔が凄かった。
Heideさんのあの透明感のある歌声、ずっと何と言うのが合ってるのかな?と思ってましたが、
セイレーンやローレライがピッタリな気がしてきました。ただ優しい綺麗な歌声と言うのは勿体ない不思議な力があるのです。
演奏は、もうメンバーさんそれぞれのツイート漁ってください!凄いのいっぱい出てきますから(笑)

もう、これはお腹空いたとか諦めて全組見てしまおうと、この辺りで決意。

カナリアの咆哮さんへ...
女性ボーカルさんのバンド編成。
またまた不思議な雰囲気醸し出しつつも、スっと聴き入ることが出来たのは、この日のVJ Boriさんのチカラは大きかった。
バンドさんと入念な打ち合わせでもあったのかな?と思うくらい、イントロの音が激しくなる場所と映像のシンクロ具合、素晴らしかった。
そのまま映像は美しい景色や観葉植物、宇宙のような無限ループのようなBoriさん独特のグラフィックから街の景色へと、歌と共に刻刻と変化するのですがシンクロ度合いが凄かった。
耳も目も満足でお腹いっぱいなライブでした。

そのまま、目的の中の1組でもあった
Hello1103さんへ。
新曲、良いです!!と、共にAIのための六つの感情曲は、やっぱりいつ聴いても良い!

かなり脱線しますが...
この日の私は少々、体調もあまり良くなかった事を含めて色々と落ち込み気味で、ライブハウスはやはりそれぞれの思いや気持ちを受け取ったり、拾ってもらったりする場所なので、ちょっと気が進まない部分もあったのですが、それでもと振り絞って行ったのです。
でもスッカリ元気にいきなりなるなんてこともない中で聴けた『Homeostasis(恒常性)』を聴きながら、私にお似合いな自分を癒すために戻るべき場所は遮光カーテンをかけた部屋の中なんじゃないかな?そこで何かしらの告知や動きを見て昔の引きごもりがちだった頃のように「いいなぁ」って思ってるだけがいいのかな!?なんて珍しく(笑)ヘタレていたら、前日の配信ライブの告知どおり『Enthusiasm(熱狂)』が始まって、
「ああ、そう言えば”一旦、落ち着いてしまった後はまた感情は上がるものだろうと思って”って言っていたな、だから七つ目は『熱狂』なんだっけ。それなら私も、上がるのかな!?」と何故かAIの方になって聴いてました(笑)


そんな、何か不思議な感情移入しながらも演奏しているお二方を見ているうちに、誰も知らないAIの感情という世界を作り上げて、それを人のまま、人に聴かせるために演奏する姿は何だか美しいなと思ったのでした。上手く伝わらないかな?
「AIのための」というタイトルが、実はとても気になっているのです。これが「好き嫌いと言うものだよ」と、それこそ自分達の音楽をプログラムしている物たちに伝えているのかな?それはそれでかなり面白い。それとも実は感情を持っているのに表現する術を持たざる物の代わりに鳴らしているのか!?なんぞと思い始めるとHello1103さんの音楽は果てしなく「面白い」のです。

コチラは新曲。

トリ前、またもお初のosteoporosisさん。
予想外の轟音バンドで、耳栓忘れたの思い出しました(笑)それでも聴きたかったので「おぉ」となりつつ居座ってました。まさかの前(客席側)を向いたまま、しゃがむように座っている方の機材がVJ用だったとは!です。覚えている限り、アイコンタクトなかった気がするのですが、どうだったかな!?入念に作り上げているのか、普段からのコミュニケーションの結果なのか、やっぱりヒソミネに行くと、知らない世界を知れる。

長ーい!!ここまで読んで下さってありがとうございます(反省無しかな?笑)
やっと主役に辿り着きましたよ!

初の全国流通アルバム『MindgEsso』をリリースしたTia Rungrayさん。
(またも余談ですが、アルバムの読み方と言うか意味、調べたもので合ってるのか、まだ聞けてないです(((^^;)もし合ってるなら、とてもTiaさんらしいと言うか、、、突っ込まれるの怖いから止めときます笑)

Tia Rungrayさんを知ったのは、全く別名義のユニットにて。
でもあの美しいピアノの音色とノイズはほぼそのままだったかな?と記憶しています。
効果音のように鳴り響くその音は、私には景色が見えたり感情の揺れの現れに聞こえたり、とても忙しなく、それでいて物凄く印象に残る音でした。
後はふつーにハマりました(笑)
CD音源のノイズの気持ち良いこと!!
どれだけ寝落ちしたか!(ちょっと珍しいらしい)
ライブだと、その日その時の感じで、感情が揺さぶられたり、記憶の欠片がゴロゴロと溢れ出したり、景色がひたすら頭の中で浮かんだり……

でも、この日のライブは思いがけず特等席なみに目の前だったのもあるかもですが、ともかく「音」に惹き付けられて何も浮かばなかった、不思議なくらい、ただただ演奏を聴いていました。
感想は「強かった」です。何が!?と聞かれると困るのですが、それでもやっぱり「強かった」
そして自らのノイズに逆らうように鳴り響くよう、弾き続けるピアノの音と演奏する姿が綺麗でした。

ヒソミネで聴く音楽は、強く印象に残っても再現力も知識もない私には、ひたすらイメージだけが残って、詳しく聴いた音を鼻歌で再現することも出来ないのですが、最近はそれがあの場所での楽しみ方だと思うようにもなりました。
その日その場で流れては消えていく音色たちは、ある意味、時を表す「瞬間」でもあり、その瞬間の音たちに感情を揺さぶられたり、何かを連想させて貰えることは、きっととても贅沢で幸せな時の過ごし方だと思うのです。
だからですかね?ヒソミネで音を鳴らしている方は、上手く言えないのですが美しいです。
それは、同じく瞬間を映像にして見せてくれるVJの方達しかりで...

この日のTia Rungrayさんはヒソミネ店長でもあるParadeさんがVJ担当でした。阿吽の呼吸と言うべきか、素晴らしかった。

アンコールの「まだ、どこにも発表してない曲です。タイトルは想像してください」と言うTiaさんらしい無茶振りの1曲。
ここで、いきなり私に浮かんだのは高く優しい音からどんどん低くなり激しくなる音に、重い足で必死に疾走する姿でした。正解は分からない。
ただ「私が感じた」それだけです。

そんな、またも不思議な余韻と感想を残しての1日となりました。
アルバム『MindgEsso』素敵ですよ!

ライブで聴いてるのにタイトル覚えてない曲の多いこと(笑)
でもさっきの言葉と矛盾するようですが、耳に残っているものだなとも思っています。

さあ、感想まで始めると終わらなくなります!
よくぞここまで、読んでくださいました!!
お疲れ様です!!○┓ペコッ

どうしても上手く動画が上げられなかったりなので、追記あるかもですが、その時は別のブログにします。あと、ツイッターにすでに書いた感想は多少、これでも割愛してます。でも書き足りてない気がしてならない!!書けたらまた!