テキトー日記

お出かけ感想日記なので不定期更新です。

【ネタバレ感想】「無伴奏ソナタ」観てきました

【どこまでがネタバレか分からない感想】
【ラストシーンまで感想書いてます】

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2回も注意書きしたし写真も挟んだので、
苦情は受け付けません。
では、スタート!!

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僕らが信じる真実は 誰かの創作かもしれない 
僕らが見てるこの世界は 誰かの悪意かもしれない
人が人である理由が 人の中にしかないのなら
明け渡してはいけない場所
それを心と呼ぶんでしょ
『古いSF映画:amazarashi』

いきなり引用から。
これは詩の世界観は違うのですが「幸せであること」「己の適性から離れないこと」が定義づけされた世界で、唯一、己で持っていなければいけないモノは心かな!?そんな風に思って、私の中で思い出した歌詞です。

質問『幸せとは?自分が属すに適した場所とは?
こんなこと悩まずに生きていける日常は幸せだと思いますか?』
答えは「イエス」な人は、それなりにいるかなとも思うのですが、じゃあ『あなたに好きな事があったとしても、あなたに適さないと禁止される世界は?』と質問の向きを変えたら「ノー」と答える人が圧倒的に増えるかな?

バッハの音楽のタイトルをそのまま使った
無伴奏ソナタ
近未来、2歳で適性検査を受け、その結果により就くべき職業を法律で決められている社会でのお話し。
その適性検査の結果は[絶対]で、親も本人も反抗する事は許されない。なぜなら「幸せになれないから」
ここまで、前置き。
(そしてやはり原作をあまりに上手く再現している為、本の感想と舞台の感想が少々混ざってます)

キャラメルボックスさんの公演の宣伝文句は
「もしも 音楽の天才が、
音楽を 禁じられたら?」でした。

今回は先に原作を購入して読む時間が無く、
何の前知識も無く観たのですが、
まず、何よりこの舞台上で威圧的に言われる
「幸せ」という言葉の響きの残酷さと傲慢さ。
腹立たしいではなく、悔しさや切なさが勝つ程の
ある種の正論が持つ暴力。
ふたつ目は、禁じられる方法が毎回「物理的」な
ことに度肝を抜かれながら観ていました。

主人公のクリスチャン・ハロルドセン(クリス)は、生後半年の予備検査でリズム感と音感に良い数値を出した。
演奏家夫婦の両親は喜んだ。そこから強化プログラムを渡され、2歳で受けた適性検査では、リズム感と音感以上に「創造性」に大きな数値を叩き出した。

ここで彼の未来は決まる。

親から離され、深い森の中の一軒家で育てられ、外界の音楽(自然に聞こえる風雨の音は有り)から遮断され、与えられるモノは充分に行き届いた生活のケアとあらゆる音を出せる楽器1つだけ。
この近未来では「全ての芸術は模倣から始まる」という考えは否定され、無から有を創ることこそが「メーカー(創り手)」として認められた天才に与えられる使命だから。

母は反対する。2歳の子を親から引き離し学校も友達も無い生活で(メーカーにしか与えられない)楽器だけを与えて、音楽を作る以外の何が出来るのか?「メーカー」になる以外の何が息子にあるのか?
それが本当に幸せですって!?と、

父は苦悩する。
もし息子が大人になって自分には世界に100人と居ないと言われる「メーカー」になるチャンスがあったのだと知ったら、自分達両親の選択を全て受け入れられるだろうか?

そして出された決断は政府の決定に逆らわず息子をあずけること。
結果は5年後、街の小さな楽団の演奏家の自分達の元に来た作曲者の名を見て分かる。
そこにあったのは、自分の息子の名前だったから。

ここまでが「序章」だったはずです。
もう始まりから息が詰まりました。
ディストピア世界の話だったとは...
そして、ここまではまだまだ世界観がチラッと見えただけでもありました。


「第一楽章」
2歳の時から28年の歳月が流れ、クリスは30歳に(ここから、主人公の多田直人さんは、ほぼ出ずっぱり)
ある日、彼に1人の男が近づいて来る。
それは本来、禁止された行為。
男は同じく適性で選ばれた「リスナー(聴き手)」
クリスの音楽にもしバッハの音楽が足されたら!?そう思ったのだろうな、は、コチラの勝手な察しです。でも名も無きリスナーである彼は、それを望んだ。どんな音楽であろうと他者の影響を受けてはいけないメーカーであるクリスに、貴方には足りない物がある。
そう言って無理矢理渡したレコーダーに入っていたのは、バッハの無伴奏ソナタ
聴いてはいけないと思いつつ誘惑に負けて聴いてしまったクリスがとった行動はバッハの曲を聴いたとは誰にも分からないように、フーガから離れハープシコードを鳴らさなくなること。(ここでハープシコードの例を鳴らしてくれるので、クラシックに疎い私でも、ああバッハの音楽だと分かると共に偉大さと言うか影響力が伝わりました)

そしてそれが仇となり現れる「ウォッチャー(見張り手・観察者)」
このウォッチャーは、世界中のメーカーが誰かの影響を受ける事は、己の才能を傷つける行為と見なし、その汚された才能はもうメーカーである資格無しと法律の名の元に断罪し、静謐な創造の森から追い出し、二度と「音楽そのもの(それは手拍子であっても)」に触れてはいけないと禁じる権力を持った人。

クリスは応じるしかない。と言うより、抵抗するとは?と言う定義も知らなかったのでは?と思うほど外界から遮断されて生きて28年。何が自分で決められるのか!?
同じく、この舞台のために作曲された美しい音楽があるのに息が詰まりました。
それでもダンスシーンは苦悩し戻りたいと願い阻まれる演出へ...
ん〜!今回は前回初めて観て知ったキャラメルボックスさんとは違うんだな、こういう舞台もあるのだなと再再演にも関わらず、知識のない私は、やはりビックリしながら観ていました。


「第二楽章」
舞台は再教育訓練を受け、トラックでの配達人になったクリスが、ある日ふらっと立ち寄ったバー(この酒場の店主も雇われているウェイトレスも皆、適性で決められて、この職に就いている)でアルコールだけを飲むつもりが、そこには「ピアノ」という名前しか知らない楽器があった。。。

……もう、展開見えて怖かった。恐らくほとんどの方のご想像通りの展開へ。
そこで2度目のウォッチャー登場。
でもこれは、偶然ではなく、彼のピアノのせいで客層が変わってしまい、店が潰れると心配したバーの店主が、彼がメーカーだと知らず「追い出してくれ」と政府に密告したから、バーの店主は目の前で、やはり法律の名の元に行われ一瞬にして終わった、クリスの「演奏すること」を奪われた行為を目にし、後悔の涙を流しながら、それでも言う「俺だって、この店が潰れて無くなってしまったら生きていけないんだ」と...

何回目!?の息詰まる展開。合間、合間には笑ってしまう場面あり、芸達者だなぁと本職の方を相手に失礼ながら感心したりしつつ楽しいのですが、何とも驚くべき方法で物理的に奪われるクリスの音楽への愛着は幸せとして認定されないのか?と言う不条理に胸が苦しくなりました。


「第三楽章」
もう出来る仕事も限られた体になったクリスは、道路工事の誘導員となり現場でただただ黙って賑やかな現場で1人過ごすことに。
そこに、現場の入れ替えで現れる音楽好きな現場作業員。

もういいよ〜!!ってドキドキしながら、でもやはり、ここで選ばれて歌われる歌があまりに良くて、束の間、笑顔になるクリスの姿に安心しつつ、いや待って!となる説明台詞の後に3度目のウォッチャー登場。
この後のやり取り、緊張して耳をそばだてていないと、ちょっと惜しい場面なので、もう涙を流している方も1番の我慢どころでした。
あの状態の演技でセリフが途切れ途切れでも聞こえることに、感心しつつ、落とし所は?
ウォッチャーが幸せと法律を守るためにと言いながら、次々とクリスから奪うのは何故?
納得できるかどうかは一旦置いて、小説・物語としては、ある意味わかりやすい展開へ...

この舞台、偶然、仕事の関係で2日連続で観ることが出来たのですが、いつもいつもクリスがより良い笑顔で音楽に接する度に、直ぐに訪れる「奪うもの」の存在に、2日目はクリス(と言うより、最早、多田さん)が笑顔になる度、胸が詰まって苦しくなりました。
目の前で笑っているこの人に訪れる次の展開は...それを見せず演技し続ける舞台上の役者さんの胸には、どんな気持ちがあるのだろう!?そんなことも考えてしまいました。

何はともあれ、同じく物理的に音楽に触れることを一瞬にして奪われるクリスに、もうこれ以上の何があるんだろう!?と思いながら観ていて唯一感じた台詞上の違和感、それは原作でも同じく。
歌を歌い聞きながら、楽しい・幸せだ以外の感情が生まれてはいけないの!?その疑問は最終章へ...


喝采

それからまたも(私が記憶違いをしていなければ)
38年、クリスは70歳にして、メーカーでありながら、2年で3度の法律違反を犯しあまつさえ、それは最初に禁じられたら「音楽」であったことにより……
別に自由は奪われません。住む場所も与えられるし職業にも就けます、強制ですが。
そんな日常からある日解き放たれる。
何のアテもないのに。。。
昔、いた場所はどこも変わってしまったり同じ人は長い歳月と共に両親も含めもう何処にいるかも分からない。

雨が降り出し、クリスはある喫茶店に入る。
彼はそこで彼を徹底的に音楽から遠ざけられたきっかけとなる『シュガーの歌』を歌う若者達に出会う。(『シュガーの歌』は歌のタイトルです。ここだけは舞台で観て欲しいと思いますが機会も少ないので、良かったら原作で...)

若者達に彼は驚いて問う「君達は幸せじゃないのか?」「幸せだよ、仕事もある、友達もいる、休みの日にはこうして歌も歌える」「それなら、何故そんな悲しい歌を?」「悲しい?そりゃあ歌っていて涙が流れる時もあるけど、それは不幸だからじゃない。この歌は分かっているんだ」「分かっている?」「そうだよ、ともかく分かっているんだ」彼をもう相手にすることなく歌を続ける若者達。

「分かっている」原作者には、どんな『シュガーの歌』が聞こえていたのでしょうか!?

«僕は 愛を知らない»のフレーズで舞台のために作られた、この歌は終わります。
「分かっている」舞台化するための交渉から始まる長い長い過程で、制作に関わった、特に成井豊さんには、最初どんな歌が聞こえていたのでしょう?

「分かっている」私には耳に残りホンの数回で鼻歌交じりに歌えるこの歌から感じたものは、直ぐに言葉にはならなかった。
ただただ涙が流れた。でも同情でも、哀れみでもない。まして、己の不幸を思っての涙でもない。
でも涙が止まらなかった。

クリスチャン・ハロルドセンは、きっと人生に、
運命に勝っていたんだ。
その証拠こそが若者達の歌声の奥から、
クリスの耳には聴こえた「喝采

舞台上には、真ん中にクリスこと多田直人さん。
舞台奥には出演者が過去の姿で現れ(心象風景かなと)拍手が贈られる。

ここで、つられるように観客として観ていた私達も演技は続いているのに拍手することを止められませんでした。どうしようもなく流れる涙と共に。

そしてカーテンコール、初日は3回。
拍手鳴り止まず。
2日目は、最初のカーテンコール時にイベント「出航式」のお知らせがあったので控えめでした。
この出航式も楽しく、また感慨深いものとなりました。

話を戻します。
シュガーの歌は、日常を「幸せ」と「適性」に囲われながら生きる人々の、道路工事ですら作業員という適性で決められた人々により行われる世界でのアンセム(讃歌)になっていたんだろうな。

ずっと、ずっと、音楽から離れられないクリスの想いが「止むにやまれぬ」モノだったのでは?と感じたのは、1つ前のブログで全く別なライブの感想と共に書きました。

だからここでは、クリスの想いより、幸せや適性について…
人は本当に衣食住が足りて、コミュニティに属することも出来た時、悩まずに生きていけるのでしょうか!?
私の答えは「ノー」です。
道路工事の現場で出会う音楽好きな男性は、皆に褒められ、歌うことを求められながらも「シンガー」になることはできません。夢や目標にも出来ない。
何故なら「適性がないから」

幸せを、目標を、夢を、好き、を「向いてないよ」と止める権利は、きっと誰にも無い。
それがどれほど相手を思って出た言葉であっても。
じゃあ、闇雲に夢を追いかけられたら幸せなのか?
それは分からない。
分からないから、人は悩むのかもです。
その悩むことを不幸と名付けることが出来るのは、
悩んでいる本人だけ。
他人が決めつけられることではないとも思いました。

幸せって?行動って?とめどなく溢れる
舞台上の台詞と演技への感想と、
そこで感じた自分自身への自問自答で
数日間、頭が重くなりました(笑)
でも観る機会があるなら、まだまだ観たい。


原作と唯一違い、キャラメルボックスさんらしさがあったのは「他者への想い」でした。
一瞬は心配したり後悔しても日々の生活の中で、クリスの事を忘れていく人々として、原作はすれ違うように現れる登場人物は描かれる。
でも舞台では、クリスが目の前から攫われるように消える度に、必ず誰かは言う
「もし、また次に会えたら?そうだな…」
その後は、それぞれの言葉で。

その暖かさは、大きな救いだと感じました。
たとえ届かなくても、想う人がいてくれる「幸せ」
涙腺も刺激されるけど...

とめどなく長い長い感想。
きっと、これでも足りてない。。。


1つ、蛇足を。
2日目「2歳の子供が親から離されて友達も作れず...」の場面、台詞、初日より足りなかった気がしたのは気のせい!?
当たってたら、自分の記憶力と集中力を褒めてやりたい(笑)勘違いだったら、すみません(´ヮ`;)

出航式も楽しかったです。
お見送り、簡単でも「来てよかった」と一言、ご挨拶出来ただけで、ものすごくやり遂げた感!
ドキドキしつつ嬉しかったです。

さあ、最初の引用に戻ります。
「人が人である理由」が「心」なら、
やはりクリスチャンは「分かっていた」んだと思います。奪われても奪われても音楽が好きな自分を止められないから「この日が来ると分かっていました」と3度目にウォッチャーに返事をしたように...

地方公演、残席もあるようですが、
「分かっていても」きっとまた地方公演に行き、
埋まりきっていない場内など物ともせず、演目や役者さんは変わっても、演じられるんだろうな...
今、現在、地方公演を待っている残りの舞台、
観れるものなら観たかった。
あの「喝采」を何度でも贈りたかった。

私には「観劇」の楽しさを教えてもらった劇団なので、また次の機会へ!!
(なかなか前売りからチケットを買う余裕はありませんが、半額制度のおかげで2回目を観るきっかけも頂いています)

うーん、締めはこれで良いのか!?
まだ間に合う公演に行ける方がいるなら、是非!
感想はきっと、私が感じたものはホンの一部で、こんなものではないと思います。

最後にチケット載せて...
どうにも表現しきれない感想と共に、
ありがとうございました!
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