テキトー日記

お出かけ感想日記なので不定期更新です。

「変えられない基礎ステイタス」と「打倒運命」

いきなりですが、どこから始めましょう!?
最近、人が集まる場所への出入りが苦痛になってきました。元から得意じゃなかった。

例えばいい加減「子ども」と呼ぶには中途半端な年齢になってからでも家族と出かけた時、偶然知らない人に声をかけられて、常識程度の軽い挨拶を返したのを見られただけで「そんな風に出来るんだね」と
感心される程度には、家族公認のコミュ障でした。

「あんたは出来なくて仕方ないから」
そう言われてきました。
ある意味、甘やかされて育てられました。
自尊心など、何処にもないけれど…


今回、なぜか書きたくなったのは、
今まで誰に対しての義理じゃなくても
私が私に課した「約束」を破ったことが
きっかけです。

手売りチケットを無駄にした……
体力的にキツかったのは間違いなく。
でも、どうしても行けなかった発熱の日とは違い
気持ちが向かなかった。
これまでずっと「行けば元気になる」と思ってたのに、思えなくなった。
人混みも、明るい顔も、楽しそうな音も何も見たくなかったし、聴きたくなかった。

その2日後、岡まことさんのワンマンに行った。
ちょっとの不安を持って。

やっぱり楽しかった。
岡さんのチカラいっぱいのネガティブと
「こんなことばかり、もう聞き飽きたでしょ?」と
歌ってしまう強さが好きです。

そしてなぜか泣きたくなって仕方なかった。
「僕らが今日も哀しいのは
命がまだ続いていくから」(メギドの丘)
唐突に前回のライブで刺さってきた歌詞です。
生きてるから哀しいと感じるのだなと...
それは、生きることの遠回しな肯定なんだなと。

岡さんの歌は「俯いたままの自分」を否定しないでいてくれる。だけど、それは間違いではないかもしれないけれど、正解でもないよ、と。
だって、自分はそんな自分が好きじゃないから。

そんなことが伝わってきて、
その「自分を好きになれない自分」すら
肯定されているようで安心する。

でも、同じく感じる息苦しさも歌になってる。
「誰も得をしない完璧主義が
僕を違うところに閉じ込める
頭では分かってる じゃあ僕が馬鹿なの?

誰も信じられない事は幼稚ですか?
人目が怖いのは人間失格ですか?
時折 柄にもなく笑うのは おかしいですか?」
(パキシル)

暗いと世間で言われる歌を好きな人は、
はしゃいだり笑ったり、どこかの誰かと
好きなバンドの話で盛り上がったらおかしいですか?
まるで情緒不安定みたいで、みっともないですか?

最近はもっと違う目線からの歌もあるのに、
この日はやたらこういう歌が響いた。

やっぱり私は辛いんだな、馴染めないんだなと思った。でも真剣に仲間入りしたいとは到底思えない中でどうするのが正解なのか、分からない。
結局、逃げるか耐えるしか答えはないのかな?

その日はそんな、行き詰まりと自分の弱さへの嫌さ加減に少々凹みつつも、それでも楽しかった。



そこからまた、いろいろ音楽を聴いていた。
しばらく聴けてなかった町田直隆さんの歌。

ライブがある……ってことに引っかかってました。
行きたいなと行きたくないなが混ざってた。
なんでそうかは、私の中でのくだらない弱さ。
「いつもいる人達」の中の「アットホームな場所」は
息苦しい。
最近、自分には苦手な場所なんだと気づいた。
だから、町田さんはなんの関係もない。
そうやって築いてきたキャリアなのだから...

何がそんなに苦手なのか考えた。
岡さん含め誰のライブにだって、
よく見る人はいるのに。

ふと気づいたのは、距離感の近さをアピールする人がいるライブって、どのバンドさんでも苦手だなと思い出した。
以前、ライブ始まっても前列でケラケラ笑って、
声が響き気味なのに止めない子達がいて思わず見てしまったら、ちょっとだけおとなしくなった。
ライブの後、その子達がそのバンドのメンバーさんとケラケラと同じように笑いながら話ているのを見て嫌気がさした。
見に来てくれるなら、どんな人でもありがたいでしょう、確かに。
でも私は、そのライブが始まってメンバーさんにも聞こえていただろう笑い声を認める姿勢は嫌いだと正直に思った。


きっとその延長線なのでしょう。
私も演者さんとお話しさせて頂いてます。
何が違う?と言われたら、それほどエラソーなことは言えないとも思います。
でも気をつけてるのは、当たり前すぎる
「ライブの邪魔をしない。」です。
あと、他にお話したい方が来たら離れるとか、
いちいち晒さないとか、それ程度。

ホント、何が違うんでしょうね!?
それで思った。

私は確かにお話ししたり、サイン頂いたり、
挨拶したり、最前列で見たり、
それなりに近ずいているかもしれないけれど、
その方達の持っている「光」や「灯り」を
(気持ちのうえで)遠くから眺めていたいんだなと...

以前も書いた、
『吹雪の日に見える目視できる太陽』
重く厚い雲の向こうで、
それでも照っていると分かる光。
なかなか、こちらでは見れませんね…

ぼんやりと、でも確かにあの太陽が懐かしいな、
見たいな、と、思った薄曇りの日。
さぁどうしようかな?と何も決められいまま
かけていたウォークマンから流れてきた歌は

「定められた日々の中を 生きてくことが苦しくて
僕は逃げたんだ

それでも それでも 僕にはできなかった
生きる事を 捨てることを 僕にはできなかった」

と、歌っていました。
『打倒運命』町田直隆さんの歌です。

なんかビックリした。ちょっと前から思っていた、
「それでも生きている自分」と
「それでも生きていく自分」の対比が
(語弊はあるかもしれませんが)面白いなと思っていて、やはりどこか似ている世界観に惹かれているのかなと思っていたから。

岡さんの歌は、沈黙そのものに言葉を付けてくれているような気がする。
町田さんの歌は、沈黙しているように(他人からは)見えるような姿を歌にしているように聞こえる。

いきなり飛びますが、メメタァさんの
『やんなっちゃうよな』と言う歌に
「思っているのに何も言わないのは
初めから何も考えてないのと
同じなわけあるかよな」というのがあって、
私はこの歌詞がとても好きです。

「正義とか公平とか そんなのはじめからなくて
騙された奴が悪いんだと 言いくるめられ
全て馬鹿らしくて 夢なんか もう見たくないよ
だけど本当にそれで悔しくないのかい?」
町田さんの『不良の音楽』からです。

私はよくコミュ障と言われる人にありがちな
何を考えているか分からないと言われてきました。親に冷淡すぎて気持ち悪いと真正面から言われる程度には、感情を出すのも今よりずっと下手くそだった。でも、何も考えてなかったわけじゃない。
悔しさに地団駄踏むような思いもしてきた、嘘泣きで許される狡い人達を心の中で蔑みながら、結局、私が悪いと言われたことも受け入れてきたように見られてきた。叫び声を上げて許されるなら幾つも泣き叫びたい場面は浮かんでくる。
心の中はそんな簡単なものじゃなくて当たり前だ。

町田さんは、それを歌にしてくれる。

暗く暗く汚い泥沼のようなものが心の中にあって、全部全部放り投げて、私は黙ってたし苦笑いしてきた。
「平常心しかないから 浮かれた他人が疎ましくて
だけど多数決をとれば 私が異分子でそれから悪」
『非行少女』(岡まこと)

ある時期から、その汚泥の中に捨ててしまった、
私に取って必要だったものが浮かび上がって来るようになった。
ガスが溜まったヘドロがポンっと弾けるように...
時折、汚泥から漏れだした何かから、突然濾過されて浄化された感情や思い出や感想が浮かんでくる時もあった。
長く、長く、読書と映画と音楽の中で溜め込んだ
「言葉」や「思索」の影響が、少しづつ少しづつ貯まって来たのだと思っている。

結局、その日、途中ずっと迷いながらライブに行きました。新曲達が本当によかった。
でも歌詞がうろ覚えなので、
ちょっと長くなりますが、歌詞カードから

情けなくても みっともなくても
恥をかいても 格好悪くても
必死で生きている君が好きだよ
頑張れなくても 逃げてしまっても
負けてしまっても 立ち上がれなくても
自分が生きた道を 信じていて欲しい
そうさこれが これが僕がずっと
歌おうとしていた歌

もっと書きたいんですけどね...歌詞サイトないし。
『歌い忘れていた歌』です。

終電が吉祥寺だとキツイ私は、帰ることに必死で
心配して頂いたのに、アタフタしてしまいました。
伝えたかったのは
町田直隆さんの『生きてやる』は格好良いです」
だけでした。何とかそれは言えたからいいやと...

本当は、太陽の話もしたかった。


人並み以下と分かっていても
生き方が上手になれない
自覚が足りずに間違い重ねた
それでも自分を捨てられず
誰かに迷惑をかけても
君はそう、今日まで生きてきたんだね
『イチ』岡まこと


岡まことさんと町田直隆さんの歌をテキトーに流してるつもりで連続で聴いていると、
たまに「人の視点」が持つ不思議さや愉快さを感じます。(これも語弊があるかな?)
でも、どこかで繋がっている。
個性や生きグセと呼んでいいのか分かりませんが
「馴染めない思い」の表現が違うだけ...そんな風に。


そしてもう一度戻ります『目視できる太陽』
しかめっ面を作らなくても、真っ直ぐに見上げることができる太陽。はっきりと光っていることが
分かる太陽。
でもそれは、自分の周りは吹雪で視界も悪く
その上、寒くて足元が悪いような時にしか見えない。
現実だな、そう思っています。


ライブや観劇や読書をすることで、
自分の周りの吹雪をおさめたいんじゃない。
私は「あぁ、今日も太陽は光っているのだ」と
信じさせてもらいたいんだなと……

厚い雲の向こうに見える太陽は影を作らない。
だから、それでいいんです。
私が演者さん側の「影」を知ることなど出来ないのですから。

いつか、いつか、自分の周りの吹雪がおさまって、太陽は眩しすぎて苦手だと思う時が来るかもしれない。
逆に、より私の中にかかっている雲の厚みが増してしまって、太陽を見失う時があるのかもしれない。
その時は、ちょっとお休みします。

ランタンのように持ち歩いて愛でるようには
私はステージ側の人を思うことはないと思います。
電池や燃料切れたら嫌だし(笑)


どこまでも、風にあおられながらも
上げた視線の向こうに「目視できる太陽」が
あってくれたらいい。

そう思っています。
、、、私の「太陽」多いな(笑)

などと、ちょっとおちゃらけたところで
岡まことさんのタイトルにした歌詞と
町田直隆さんのライブで聴けた歌の歌詞を...
そして以前も載せた飛行機からの太陽の写真を。
素材あったのですが、フリーかどうか分からなかったので、これで勘弁を。

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今回は絞っただけで、
いつもライブや観劇でいろんなものを
受け取らせていただいてる方にも同じことを
思っています。の、一文を付けて……

「死んじゃうのかい?それでもいいよ
こんな世界はどうでもいいね
死んじゃえないか 聞き飽きてんの
どうせ最後まで唱えては生きるの

身体を担う友達よ
少しは馬鹿になったらいいのに
「もう何もかも終わり」でも
どうせ光を探してしまうでしょう?

変えられない基礎ステイタス
「そんな事も出来ないの?」って
後戻りも指差されて
逃げたって もう遅過ぎんだろう」
『イマジナリーフレンド:岡まこと』


「これから何を目指し 何処へ向かい
生きれば良いんだろう
たった一人罰を受けるように 不遜な夢を
ずっと見続けるのか

だけど生きて 生きている限り
まだこれで 終わりじゃないんだ
今いるこの場所がもし世界の底の底でも
ノーサレンダー」
『ノーサレンダー:町田直隆


言葉足らずなのか、余りすぎなのか分からないのですが、加筆修正等はあるかも!?

ただの私の思いです。
行けなくなっても、それは私の弱さや都合で
嫌になったわけじゃないはず……と思いたい。

上手くまとまらないな…
それでも読んで貰えたり、それぞれ好きなバンドさんやシンガーさん、舞台や映画や読書の中に同じ思いがあったら嬉しいな…ありがとうございました。